2010年10月

2010年10月30日

Facebookの掲示板

Twitterのような機能である『Facebookの掲示板』という機能。
この掲示板という機能が『ウォール』という名前に変わった。
昨日だったか、一昨日だったか、とにかく今日は既に『ウォール』という名前で表示されている。
何だかややこしいなぁ(twitter風の記事を書いてみた)。


2010年10月29日

『読書会』を購入!!

今日は本屋へ寄って次の本を見つけた。

『読書会』 山田正紀・恩田陸・対談

恩田陸氏と山田正紀氏の対談集で10冊ほどの本について語り合うという企画ものだ。

『常野物語』シリーズの裏話などが語られていて面白そうである。
いつも思うことだけれども作家の方々の読書量の多さ。
そういうことがこの本をパラパラ眺めただけでもよく分かる。

ゼナ・ヘンダースンの『ピープル』シリーズという作品に触発されたものだという。

SFに詳しい方は、作品を読んで「『ピープル』シリーズだな」とか、「ゼナ・ヘンダースンだな」とかピンとくるという。
私は海外の作品はほとんど読んでいないので全然分からない。

いつ、この本を読むのかは分からない。
しかし、いろいろと知らないことが語られていて面白そうである。





2010年10月28日

『地の星−流転の海・第二部−』を読了!!

宮本輝氏の『地の星−流転の海・第二部−』を読み終えた。

『地の星−流転の海・第二部−』 宮本輝・著 『地の星−流転の海・第二部−』 宮本輝・著

大阪で成功している松坂熊吾。
病弱な息子、伸仁のために大阪での生活を総て片付けて故郷・愛媛で暮らす道を決める。
空気が綺麗な田舎で身体を動かすことによって元気な身体を作ることを考えてのことだ。
もっと長く暮らす予定だったのだが、結果的には伸仁が2歳から5歳までのこととなる。

音吉の発想を活かし実現させたダンスホール。
田舎のダンスホールなんてと思うが、これがまた大当たり。

魚茂という網元である和田茂十(わだもじゅう)。
県会議員に立候補しようという和田茂十の選挙参謀としてその手腕を振るうのだが、和田茂十はガンに倒れてしまう。

わうどう(『上大道』と表記する地名)の伊佐男。
子どものときに相撲で松坂熊吾に投げられたことで足に障害が残ってしまったと、松坂熊吾にまとわりついてくる地元のやくざだ。
ラストでわうどうの伊佐男は、他の地区のやくざに命を狙われ、それを苦にライフルで自ら命を絶つ。
このときに松坂熊吾に身の始末を頼むところが印象的であった。
「故郷での自分の使命は終わった」と、いよいよ大阪に戻る決意をして3巻に続くところではなしが終わっている。

伸仁もすくすくと育っていて、将来が楽しみになってきた。

ますます面白くなってきた。
さぁ、あと3冊で終わりだ。


#情報科教員MTの読書記録・・・・2010-10-19から2010-10-28
                      10日で1回読み終えた。
                      何か疲れていて電車の中で
                      も休んでいることが多く、
                      10日も掛かってしまった。

2010年10月26日

プロジェクタのランプの球切れ。発砲音に驚く。

私の学校のパソコン教室のプロジェクタは三洋電機のLP-XT16というものである。
このプロジェクタにはいろいろとわ世話になっている。

先日、プレゼン実習の最終段階である発表会をしていたときのこと。

突然ピストルの発砲音のような『パン』という少し大きな音と共にプロジェクタのランプが切れた。
白熱電球が切れるときの瞬間は何回も経験したことがある。
『ピッ』とか『ピシッ』という感じの短い音でそれほど大きな音ではない音と共に白熱電球は切れる。

「プロジェクタの場合には結構大きな音がするものだな」と少々驚いた。

勿論、危険がないように設計されていて何の問題もないのだろうが、この音にはビックリした。

ランプ切れから少し時間が経ってしまったが、本日、業者さんに来て頂いて交換をして頂くことができた。
交換用ランプというものは3センチくらいのものかと思っていたが、6から7センチメートル四方の結構大きなランプだった。

ということで、明日からは再び電子ホワイトボードが使えるようになった。


2010年10月25日

RD-X10が発売される

何気なく新製品情報をググっていた。

『東芝 ブルーレイ 新製品』などでググった後、「東芝のRD-Xシリーズは今、どうなっているのだろう」と思い、『東芝 RD-X10』で続いて検索した。

http://av.watch.impress.co.jp/docs/news/20100728_383324.html

http://www.toshiba.co.jp/regza/bd_dvd/lineup/rd-x10/spec.html


11月下旬に発売されるとのこと。

7月に発表されたらしいが、全然知らなかった。




will_pwr at 23:49|Permalinkコミュニケーション 

2010年10月24日

新しい『MacBook Air』って素敵!!

新しい『MacBook Air』というものがこの21日に発売された。

今回の『MacBook Air』では11インチモデルが登場した。

http://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/20101021_401429.html

この記事によるとサイズは『299.5×192×3〜17mm(幅×奥行き×高さ)、重量は1.06kg』とのこと。

私が今使っているSONYの『VAIO X11』のサイズは『幅278mm×高さ13.9mm×奥行185mm』。

http://www.vaio.sony.co.jp/vaio/pre_include/html/X11/spec_vom1_biz.html

横幅は2センチくらい『MacBook Air』の方が長いもののほぼ同じくらいのサイズということが分かる。
「サイズ的にはいいなぁ」と強く思った。

私は今までMacにはそれほど興味を持っていなかったけれども、今回の『MacBook Air』は何だが素敵だと思う。
息子が『MacBook PRO』を使っていて、『暗い場所でもキーボード(キートップ)が見える』とか、『電源ケーブルが足か何かに引っかかったときにはケーブルだけがさっと外れる』など、随所に工夫がされていることを知った。

『VAIO X11』を購入してまだ間もないので、決して購入はできないが、グッときたマシンであることには間違いない。






2010年10月23日

梨木香歩の新刊

昨日、ひょんなことから梨木香歩氏の新刊が出ていることを知った。

『ピスタチオ』という作品が出たらしい。

『梨木香歩 ピスタチオ』などでググっていたら、次のサイトに行き当たった。

http://www.tabibun.net/books/a210700/

『ピスタチオ』という作品は単行本であり、文字通り新刊本。

『ピスタチオ』 梨木香歩・著


ほぼ同じ頃、『水辺にて』という作品も刊行されたらしい。

『水辺にて』 梨木香歩・著

こちらは以前刊行されたものが文庫化されたもの。
私も単行本の方はパラパラと眺めた記憶がある。

私は『小説やエッセイは文庫化されてからそれを買って読む』という妙なポリシーを持っていて、ほとんどそのポリシーに従って読書している。

『ピスタチオ』は3年待ってから購入することになると思うが、『水辺にて』は直ぐにでも購入して読んでみたいと思っている。

楽しみがまたひとつ増えてきた。




2010年10月21日

シャープ、パソコン事業から撤退

今日、帰りの電車の中でケイタイをみながら、シャープがパソコン事業から撤退するとしいう記事が目に入った。
今後はタブレット端末に力を注ぐという。

http://www.asahi.com/digital/av/OSK201010210098.html


iPADのような電子書籍端末などと同様の機能を有するガラパゴスを主力にするということらしい。
ハードウェアとしてのパソコンを作成しても最早儲からないということなのだろう。

シャープのパソコンといえば、私が初めて使ったMZ-80Bというパソコンがある。
クリーンコンピュータという触れ込みのパソコンでROM内のベーシックなどで利用する形態ではなく、必要な必要なプログラム(BASICなど)は読み込んでから利用するというタイプだった。

名前は忘れてしまったが、表計算ソフトのようなシステムで成績処理をしていたおぼろげな記憶が蘇ってきた。

メビウスとかムラマサとか何だが魅力的な製品が多かったがシャープも撤退なのかと残念な感じが強い。

開発は昨年の9月に発表された製品を最後に終了していたというところに何だか驚いた。




2010年10月20日

本日は塾訪問

先日、10月14日は学校を休日にして、我々教員は中学校訪問をした。
塾回りもすることになっているが、この日1日ではとても回りきれない。

今日から本校では中間試験に入り、午後は自由に時間が使える状況になっている。
このチャンスを利用して、残りの塾訪問をすることにした。

もう少し早く帰宅する積もりだったのだが少々仕事が残ってしまったので、午後3時過ぎに学校を出ることになった。

自宅に戻ったのは午後4時半過ぎ。

帰宅後ちょっとホッとしてから、午後5時くらいから自宅近辺の塾回りを開始。

本日の資料は、パンフレットや募集要項の他に過去問題集もあって、1校当たりの資料が極めて重い。

どんなに頑張っても10校分くらいしか持ち歩くことができないので、2回に分けて回ることにした。

午後8時30分頃帰宅したのだが、目標の20校を何とか回り切れた。
今日も1日充実していた。

2010年10月19日

セルフでないガソリンスタンド閉店

私が利用しているガソリンスタンドが閉店するという。
先日、給油に行ったときに知ったのだが、『20年間ありがとうございました』の横断幕が痛々しい。

私は自分で給油したいとは思っていない人なので、ここのスタンドは大いにお世話になった。

それほど価格差はないのだから、少々高くてもクルマに乗っているだけで給油して頂ける従来タイプのスタンドは本当にありがたい。

多くのスタンドが価格競争に巻き込まれ、セルフ化していった。

このスタンドが閉店してしまうと、私はやむなくセルフに通わなくてはならなくなりそうだ。

従来タイプのスタンドも捨てがたいと思うのだけれど・・・。



2010年10月18日

『流転の海』を読了!!

宮本輝氏の『流転の海』を読み終えた。

『流転の海』 宮本輝・著 『流転の海』 宮本輝・著

宮本輝氏は好きな作家のひとり。

新潮文庫の宮本輝作品はほとんど読んでいて『優駿』と『草原の椅子』、そしてこの『流転能海』が残っているだけである。

とはいっても、この『流転の海』は第5部(5冊)まであるので、読み始めたら結構時間を費やすことになる。

主人公は松坂熊吾(まつざかくまご)。
豪快であり、繊細であり、学歴はないが数々の古典の引用ができ、並外れた洞察力があって魅力的な男だ。

この主人公の回りに集まってくる人間がまた、魅力的で読んでいて興味が尽きない。
仕事だけではなく、自分の家族、特に50歳になって初めて得た自分の子どもを大切にしていて息子が20歳になるまで絶対に死なないという決意をしている。
この辺も魅力のひとつである。

この『流転の海』は父と子の関係をテーマにして、父と子を対等な関係として追っていくことになるらしい。

伸仁という息子がどのように成長していくのか、興味は尽きない。

#情報科教員MTの読書記録・・・・2010-17-16から2010-17-18
                      3日で1回読み終えた。








2010年10月17日

『食堂かたつむり』のDVD購入!!

先日、読んだ『食堂かたつむり』。
映画化されるくらいだから、読んでいて素晴らしいと思ったし、映画館には行かなかったが、観てみたいとは思っていた作品だ。

『食堂かたつむり』 DVD版 『食堂かたつむり』 DVD版

拒食症のウサギのはなしやもう一つのはなしが省略されていたり、近所でベーカリーを営んでいる一家が倫子の料理を食べに来て、毛を入れて言いがかりをつけるところが、倫子の旧友が他の友達と共に来て虫を入れて言いがかりを付けるように変更されていた。

細かいところろでところどころ違いはあるけれども、小説を読んでイメージしたこととほぼ同じような感じであった。

ただ、CGが多すぎで軽い感じが残念なところである。
原作はどちらかというとシリアスなイメージが強いけれども、映画版はコミカルというか、軽すぎて今ひとつ残念な感じが強く残ってしまった。



2010年10月15日

『食堂かたつむり』を読了!!

『食堂かたつむり』を読み終えた。

『食堂かたつむり』 小川糸・著 『食堂かたつむり』 小川糸・著

今年の2月6日に公開された映画『食堂かたつむり』。

http://katatsumuri-movie.jp/

その原作である小川糸氏の『食堂かたつむり』を読んでみようと思い、少々タイミングは遅れた感があるけれども読んでみたもの。

インド人と同棲していて、インド料理店の開店を二人で夢見て生きてきた主人公の倫子(りんこ)。
実はインド人は詐欺師で倫子が開店資金として貯めていた貯金もろとも持って行かれてしまう。
そのショックで失語症になってしまった倫子は地元に戻り食堂をすることになる。

小学校のときにお世話になった用務員の『熊さん(熊吉)』に、再びお世話になりながら自分の店を作っていく。

1日に1組しか予約を入れず、事前に面接をしてそのお客様に合った料理を提供することを心がける。
最初のお客様は『熊さん』。
倫子の料理を食べた直後に別れた奥さんが電話を貰った熊さんは倫子の料理を願いが叶うものとして触れ回る。

片思いの彼との会食を夢見て予約を入れる女子高校生。
ジュテームスープが彼女たちには人気のメニュー。

拒食症のウサギを元気にさせたいと食堂かたつむりを訪れた少女(梢ちゃん)。
倫子がウサギの好みを探り、何とか食べて貰えるようになって、元気を取り戻したウサギを自宅で飼えるようになった梢ちゃん。

『お妾さん』と呼ばれている喪服の老婦人。
ご主人が亡くなってからずっと喪に服している老婦人で倫子の料理を食べたその日に夢に亡き夫が現れ、「もうすぐ会えるから、それまでやりたいことを精一杯やって元気に生きて下さい」といわれて生きる元気を取り戻した老婦人だ。

ぼけてしまった祖父を最後に会食に誘いおお泣きしてお別れを惜しむ家族。
仲のいい家族なのだが祖父を施設に預けることにした最後の晩餐なのだ。

その他にも数々のハッピーエンドがところところに語られているものがたりだ。

おかんが飼っている豚のエルメスとのふれあいなども印象的。
このエルメスはおかんの意思で、おかんの結婚披露宴のときに振る舞われることになるところが少々悲しい。

おかんに言い寄る『ネオコン(根岸恒夫といコンクリート会社の社長)』だが、おかんは以外と律儀で『ネオコン』の誘いは微妙に交わしている。
『ネオコン』も単なる嫌なやつとして描かれておらず、おかんとシュウ先輩との披露宴では二人を乗せた馬を引っ張る役を悲しみながらもしっかりと引き受けている。

おかんとシュウ先輩(修一)の関係。
初恋のシュウ先輩と意外なところで再会するのだが、おかんが体調不良を訴えて行った病院で医師をしていたのがシュウ先輩だ。
喜びもつかの間、自らがガンに冒され余命幾ばくもない状況であることを知らされる。

せめてもの救いはシュウ先輩もおかん(ルリコ)を未だに好いていて結婚を約束してくれたことだろう。
新婚旅行に世界一周をしたいところだったが、おかんの病状ではそれが無理なので、倫子の料理で世界各国の料理を再現し旅行した気分になって貰うシーンが続く。

最後に野バトが自分の家(食堂?)のドアにドスンと当たってしまい息絶えている瞬間に出くわす。
この野バトがおかんのことば(「食堂を続けて立派に生きなさい」というメッセージ)を運んできたように感じ、ローストにして自ら食べる。
これを食べたときに余りのおいしさに思わず「おっ」、「おいしい」と声を発することができて、再び、自らも積極的に生きていく決意をしたところでこのものがたりは終わっている。

食べ物に対する感謝の気持ちや、生きることへの喜び、意欲などが感じられ素敵なものがたりだと私は思った。

勿論、DVDも既に売られているので、映像化された作品も観てみたいと思う。

『食堂かたつむり』 DVD版 『食堂かたつむり』 DVD版

#情報科教員MTの読書記録・・・・2010-10-11から2010-10-15
                     5日で1回読み終えた。
                     13日はクルマで学校に行ったし
                     14日は中学校回り(営業活動)
                     だったので、実質3日で1回とい
                     う感じ。


2010年10月14日

中学校訪問

今日は学校をお休み(生徒は自宅学習)にして、我々教員は営業活動に出ることになっている。

私は自宅近辺の中学校を17校ほ訪問させて頂いた。

朝、9時過ぎを目指して自宅を出る。
訪問できる時刻としては午後5時くらいが限界なので、だいたい17校が、私にとっての限界ということになる。

私は授業やそのための準備などに時間を使うことには疲れを感じることはほとんどないが、営業活動は苦手な人間。

結構頑張った方だろう。



2010年10月10日

『流れ星が消えないうちに』を読了!!

橋本紡氏の『流れ星が消えないうちに』を読み終えた。

『流れ星が消えないうちに』 橋本紡・著

久しぶりに極めてよい作品に出会えた感じがしている。
これがこの本に関する読後感だ。

ものがたりの骨子はよくあるタイプの三角関係というか、仲のよい三人組のうち二人が恋人通しでそのひとりが亡くなり、残った二人が新たなカップルとなるもののこころのどこかに何となくわだかまりがあるというものだ。
そして、そのわだかまりを乗り越えていくものがたりが『流れ星が消えないうちに』だ。

−−−−−

主人公は巧君(川嶋巧:かわしまたくみ)と加地君、そしてヒロインの本山奈緒子(もとやまなおこ)。
最初は加地君と奈緒子の組み合わせで、巧君はふたりのキューピッド役だった。
加地君と巧君は高校2年生とのときの文化祭で強い絆が生まれ親友となる。

加地君はどちらかというと思索家というタイプでしっかり物事を考えてから行動するタイプだ。
対する巧君はまず行動してみて、それから結果は着いてくるという行動派タイプである。
どちらも一長一短あるがお互いに一目置いて尊敬しあえる関係になった。

切っ掛けは文化祭のときに加地君が作成したプラネタリウムと流星発生装置。

たまたま忍び込んだ夜の『高校の校舎』で巧君と同じように文化祭の準備をしている加地君と出会い、上手く動かなかった流星発生装置を手直ししてあげたことが切っ掛けである。
加地君は巧君のクラスの飾り付けを手伝い、巧君のセンスでは散々だった飾り付けを素晴らしいものに作り替える。

加地君は小学校のときから憧れていた奈緒子を自分の科学部のプラネタリウムに招待し、告白する決意をしたものの、その具体的な算段が立たず巧君に相談する。

巧君が友人の春日貴子と共謀して、さりげなく本山奈緒子を科学部のプラネタリウムに導く。

このときのプラネタリウムの解説者というか、案内人は勿論、巧君である。
解説の最後に牡羊座流星群のことと引っかけて、牡羊座生まれの本山奈緒子の方をじっと見つめながら解説の中に彼女への告白のことばを散りばめるシーンがある。
ここがまた素晴らしいシーンなのだが、そこは原作を読んでみるとよいと思う。
恐らく多くの読者が、そのプラネタリウムのシーンにいる感じとなって、あるいは巧君になり、あるいは本山奈緒子になり、また巧君や春日貴子になってこのシーンを見ていることだろう。
きっとそれぞれの立場になってどきどきしながら・・・・・。

ラストシーンの本山家でのプラネタリウムと流星発生装置が素晴らしい。
勿論、その昔、加地君が作成したものだ。
訳ありのお父さんと、本山奈緒子、奈緒子の妹の絵里、そして巧君の4人で眺めたプラネタリウム。
流星発生装置で流れてくる流星を眺めながら、それぞれの夢を祈るシーンで終わっている。
この余韻が凄いいいのだ。

加地君が残した作品(装置)やことばを中心に、それをそれぞれの人間が媒体となって伝わっていくところもグッとくるのだ。

詳しくは書かないがこ本山奈緒子のお父さんも優れた人で、50代にになった今も大きな夢を持っている。
本山奈緒子の父のはなしも絡めたところで、このものがたりの魅力は倍増されているようも思う。

−−−−−

わたしは森絵都氏の作品に出会い、それぞれの作品に貫かれている『何があっても、生き抜くのだ』というテーマに触れて、森絵都氏の大ファンになった。
今回の橋本紡作品にもそのとときの感動と同様のものが感じられ、たった一作の作品を読んだだけだけれどもすっかり魅了されてしまった。
こういう作品に出会わずにその一生を終えていく人がいることも事実だろうが、それは人間としては勿体ないことだと思う。

この後、橋本紡作品を数多く読んでいくことになるのだと確信している。


#情報科教員MTの読書記録・・・・2010-10-09から2010-10-10
                      2日で1回読み終えた。

2010年10月08日

『できればムカつかずに生きたい』を読了!!

田口ランディ氏の『できればムカつかずに生きたい』を読み終えた。

『できればムカつかずに生きたい』 田口ランディ・著 『できればムカつかずに生きたい』 田口ランディ・著

ランディさんって、随分壮絶な家庭環境で育った方なのだということと、寺山修司氏に可愛がれた方なのだということをこの本で知った。
『可愛がられた』というのは、『お世話になった』という意味。

『いじめってなんだろう?』というエッセイでは、いじめを説明するのにシーツの端を持って歩いている人間たちの例え話が出ていた。
シーツの端を持って多くの人間と歩いているとある部分にしわが寄ってくるときがある。
そのしわの部分を持っている人が人間関係でいうと『いじめられている人』という説明である。
「いじめって何だろう」と知り合いの韓国人に相談して返された答えだという。

何となく分かるような気もする。

そして、

 私は「いじめ」に遭ったら闘えなんて絶対に子供には教えない。
 もし、そこに「いじめ」というものが存在したら、その集団は既に「シーツを持ってあるく人びとの集団」であり、しかもそのことにストレスを感じている集団なのだ。
 そんな場所からはシーツを離して一目散に逃げろ、って教えたい。
シーツなんてなくたって生きていける。


ということばになるほど、こういう考えもあるかと思った。

自分との闘いも含めてどこかで闘わなければならないということもあるのだろうと私は思う。
しかし、『一目散に逃げ』て新しい関係性(つまり、シーツを全く持たない状態を経て、その後に新しいシーツを持つこと)を探すことも重要なのだという説明にも納得をした。

『私は父性を持ちたい』というエッセイでは、ドラえもんというマンガを切っ掛けに、友人の高校教員がいった次のことばが紹介されている。

「日本には母性しかないからねー(原文の末尾は波線による長音表記)」


学校というのは秩序でもって父性的に運営されるべきところなのだけれど、その学校にも「母性」ばかりが要求される、と彼は語る。
「何かを切ろうとすると、一斉に非難されちゃうわけよ。愛で包み込むのが好きなんだよ。そうすれば物事はうまくいくと思っている。父性を出すと攻撃されちゃうから教育現場はすごく厳しい状況だよ」


ということばに、日本全体の教育に関する問題点の一端は表現されているように感じた。

他にも書きたいところは満載の本だったが、この二点をかいておくことにした。

#情報科教員MTの読書記録・・・・2010-10-05から2010-10-08
                      4日で1回読み終えた。


2010年10月04日

『中村天風と植芝盛平 気の確立』を読了!!

藤平光一先生の『中村天風と植芝盛平 気の確立』という本を読み終えた。

『中村天風と植芝盛平 気の確立』 藤平光一・著

合気道の植芝盛平先生と、ヨガや呼吸法、無意識の活用法などで有名な中村天風先生の二人に師事した藤平先生の記録である。

どちらの師匠にも文字通り命を掛けて師事したことが語られている。

植芝盛平先生が亡くなられ吉祥丸先生に代が代わられたとき、藤平先生は合気会から身を引かれ『心身統一氣の研究会』を立ち上げられたとのこと。
植芝盛平先生のことを心から尊敬していたが、この辺の記述は妙に納得してしまうものがあった。

−−−−−

氣の研究会でいう『心身統一の4大原則』とは

1.臍下の一点に心をしずめ統一する
2.全身の力を完全に抜く
3.身体の総ての部分の重みをその最下部におく
4.気を出す

の4つであり、藤平先生の合氣道解釈のそのものだと書かれている。

休みの関係もあり週に1回くらいしか稽古に行けない身で、ほとんど進歩がないわたしの合気道なので、何年やっても脱力もできず『力みだらけ』の状態だ。

3点目の『身体の総ての部分の重みをその最下部におく』ということを少しでも意識してみようと思う。


#情報科教員MTの読書記録・・・・2010-10-04から2010-10-04
                      1日で1回読み終えた。



2010年10月03日

『天国はまだ遠く』を読了!!

『天国はまだ遠く』を読み終えた。

瀬尾まいこ氏の作品は『卵の緒』に次いで、わたしにとっては二作目である。

『天国はまだ遠く』 瀬尾まいこ・著
 『天国はまだ遠く』 瀬尾まいこ・著

『天国はまだ遠く』 DVD版 『天国はまだ遠く』 DVD版

主人公の山田千鶴(やまだちづる)23歳、そして民宿『たむら』の主人である田村。
このふたりが主な登場人物であり、ものがたりはこのふたりの日々を中心に展開していく。
民宿の主人といっても年齢は30歳で千鶴と大して変わらない、ちょっと歳の離れたお兄さんといったところ。

名前程度が出てくる人達として、春奈(はるな)に景子(けいこ)、マキちゃん、三上さん、中井ちゃんと千鶴の上司。
そして恋人(元恋人?)と思われる久秋(ひさあき)。

千鶴を民宿『たむら』に連れて来たタクシー・ドライバーと、木屋谷(きやだに)というこの集落の仲間達が数名。
これがこのものがたりの登場人物すべてだ。

自分の人生に疲れ果ててしまい自らの命を絶つ決意をした千鶴がたどり着いたところが木屋谷の民宿『たむら』だった。
ここで、その計画が失敗して32時間振りに目が覚めてから約20日の間に田村と過ごした日々が語られている。

二人で聴いた『ミスチル(実はビートルズ)』と『吉幾三』のCD。
朝早く起きて海釣りに行ったこと、そのときの朝日の綺麗だったこと、お手伝いにした鶏小屋の掃除、日曜日の教会、勤労感謝の日の青年団での飲み会など、楽しい想い出の日々。

飲み会の帰りの山道でふたりで大声で歌った賛美歌なども忘れられない想い出だろう。

ものがたりとしては21日間過ごした後に千鶴が民宿『たむら』を後にするところで終わっている。
田村は民宿の主人と客の関係を貫き、千鶴を駅まで送ってはなしが終わるのである。
それ以外は何も書いていないが、二人の間にお互いに好意を抱いてようにも見える。
わたしにとっては少々残念な結末だが、人生にはこのような結末が数多く待ち受けているのであろう。


検索の過程で映画化もされていることを知った。
DVDを観てみたいとも思っている。



#情報科教員MTの読書記録・・・・2010-10-03から2010-10-03
                      1日で1回読み終えた。


2010年10月02日

『千年樹』を読了!!

荻原浩氏の『千年樹』を読み終えた。

『千年樹』 荻原浩・著 『千年樹』 荻原浩・著

日方神社という神社のご神木である『ことり(子盗り)の木』と呼ばれるくすのきの木。
樹齢1000年を超えるというとてつもない巨木である。
この巨木のもとに展開されるものがたり。
現在のものがたりと、その昔のものがたりが交錯しながら展開されている。

国司の公惟(きみただ)は地元の豪族の長である浅子季兼(あさごすえかね)から謀反に会い、妻と子どもを連れて逃れてくるのだが、この地で絶命する。
公惟の子が飢えた状態で最後に楠の種を食み、飲み込めずに口からこぼれ出た種が成長して、ときが経ち、この巨木となったとされている。

星雅也は岸本、堀井という同級生にいじめられていて、この巨木のところで自ら命を落とそうとするが目的を果たせず、強く生き抜くことを決意する。
この間、星雅也がことり幼稚園でタイムカプセルを埋めるはなしなど『今と過去とのいくつかのものがたり』が語られる。
そして、そのところどころでこの季兼の子と思われる子が現れてくる。

最後の『落枝』という章では、落枝による事故が頻発するようになった『ことりの木』を伐採してしまおういうはなしが出で来る。
星雅也は市役所の「あれこれ相談課」に努めていて、その対応に追われている。
雅也自身はこの巨木を切ることなど何も望んでいなかったが、市長となった岸本の命令でこの巨木を切ることになる。
最後の切断のシーンでは一面を漂う樟脳の香り、そして公惟親子三人と思われる『三人の影』が見え、消えていくところと、鳥が排泄した糞の中に『ことりの木』由来と思われる『くすの種』がありそれが育っていくだろうことを予感させるラストが印象的だった。



#情報科教員MTの読書記録・・・・2010-09-29から2010-10-01
                        3日で1回読み終えた。



2010年10月01日

9月中に読んだ本たち。

will_pwr at 23:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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MT
杉並区にある文化女子大学附属杉並中学校・高等学校で情報科教員をしていた津久井 大(まさる)と申します。
2019年3月に定年後、1年間雇用延長で働き、2020年4月から完全にリタイアしました。

従って正確には『元・情報科教員MTのBlog』ということになりますが、タイトルはこのままにしてあります。

元々は理科教員で、暫く理科と情報科の兼任をしていましたが、教育制度に則った情報科ができた2003年に情報科のみを教えることになりました。
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