2012年01月

2012年01月30日

中学入試データ入力奮闘中

#ここのところネット上への記事投稿が滞っている。
 この記事は実際には2012-02-21に投稿した。

−−以下本文−−

中学入試データ入力奮闘中の日々を送っているのだが、何とか乗り切ることができそうだ。
昨日の日曜日は布団を引きっぱなしにして、ほとんど横になっていた。
この間も、結構寝ていたと思う。

いい感じで日曜日があったので、わたしにとっては最高の休養が取れた。

明日の前日準備が終われば入試の本番に突入である。

体調も、7、8割り方元に戻ってきたので、もう、大丈夫だろう。

#ここのところネット上への記事投稿が滞っている。
 この記事は実際には2012-02-21に投稿した。


2012年01月26日

体調不良

#ここのところネット上への記事投稿が滞っている。
 この記事は実際には2012-02-21に投稿した。

−−以下本文−−

中学入試の直前であり、受験者データ入力真っ盛りの今、どうやら風邪を引いたらしい。

1日か2日前から、少々不調だったが、いよいよハッキリした。
熱がある。
体温が38度前後。

何とか、乗り切らなければならないので、今日は早めに帰って病院に行くことにした。

熱は微妙なところを上下していてインフルエンザではなさそうだが、医師に「職場で担当学年は4クラス中3クラスがインフルエンザで学級閉鎖になったので、一応検査を受けたいのですが・・・・」と訴え、インフルエンザの検査をして頂いた。

勿論、検査結果は陰性で、インフルエンザではなかった。

登校(勤務)制限はないので、明日からも、授業をしつつ、データ入力をして、何とか乗り切らなければならない。
気合いあるのみ。

#ここのところネット上への記事投稿が滞っている。
 この記事は実際には2012-02-21に投稿した。


2012年01月25日

『東京タワー』を読了!!

リリー・フランキー氏の『東京タワー』を読み終えた。

『東京タワー』 リリー・フランキー・著 『東京タワー−オカンとボクと、時々、オトン−』 リリー・フランキー・著

しょうもないオトンと、女手一つで筆者を育て上げたオカン。
ちょっとしょうもない筆者だが、オカンへの愛情はピカイチ。
オカンのことを書きたかったとのことだから、結局、自分のことも書かなければならず、リリー・フランキー氏の自伝的小説となっている。
カバー裏の著者紹介によると1963年(昭和38年)福岡県生まれということなので、わたしよりも少し若い方である。
武蔵野美術大学出身と書かれているので、本文中で東京の大学に合格したシーンが出てくるのだが、それがこの美大だということがわかる。
サブタイトルにあるように、『時々、オトン』が『ボク』のサポートをしている。
大学に受かって直ぐの段階で、オトンから呼び出されてテレビ局のお偉方と会うシーンがあったが、大学1年生では自分の就職先など、まだイメージできないであろう。
そんなところがオトンらしい。


−−−−

時は流れて、ボクが大学を卒業することになった。
とりあえず、音楽製作会社の採用試験を受けてみるシーンがあった。
試験で『好きなことば』を聞かれ、『All You need is love』と書いたのだが、音楽制作会社の面接官がこれがビートルズの曲の名前だと知らなかったというもの。
そしてこんな会社にはいくものかと決めたというシーンなのだが、何だかここが妙に好きだ。

最後の方では、オカンが東京に出てきて、ボクと一緒に暮らすことになる。

笹塚のアパート。
騒々しいアパートであったが、オカンにとっては初めての自分の家。
パンという名のウサギの飼育。
ボクと共にここで暮らし、ボクの友だち全員に食事を作って振る舞い、楽しいひとときを送ったのだろう。

そんなオカンにガンの疑いが出て、東京タワーの近くの病院での闘病生活。
オカンはガンで亡くなってしまうが、その後、ボクが「オカンの毎日は楽しかったのだろうか?」と回想するのでが、わたしは、幸せなひととはを過ごせたものと信ずる。


#情報科教員MTの読書記録・・・・2012-01-17から2012-01-25
                      9日で1回読み終えた。


#ここのところネット上への記事投稿が滞っている。
 この記事は実際には2012-04-16に投稿した。
 だいぶ、記憶も薄れてきた・・・・。


will_pwr at 23:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年01月16日

『片想い』を読了!!

東野圭吾氏の『片想い』を読み終えた。

『片想い』 東野圭吾・著 『片想い』 東野圭吾・著

大学時代にアメフト部だった男たちと、その女性マネージャー2名のものがたり。
『片思い』というタイトル通り、ラブストーリーでもあるのだが、単なるラブストーリーではなく、ミステリー仕立てになっている。
その『片思い』も男と女の片思いではなく、『男のこころ(勿論、女の心も持っているのだが・・・)』を持った女性マネージャーが、アメフト部のスタープレイヤーであるクォーターバックの男(西脇哲朗・以下、QBと表記。仲間はQBと呼んでいる)に寄せる『片思い』。
「こんな男になりたい」という気持ちを持っている女性マネージャーというところが、多くの人たちとは違うところだ。

そう、このものがたりが取り扱っているテーマは『性同一性障害』。

『性同一性障害』の人たちが生きていく上での大変さなども含めて、リアルに語られている。

ものがたりは、10年ぶりの同窓会で再会したメンバーたちが、織りなす形で進んでいく。
この同窓会でいつも話題にされてしまう、QBの失敗。
QBがパスをしなければいけなかった相手にパスをしなかったというものである。
それがどうしてそうなってしまったのかという謎解きも興味深い。

女性マネージャーのひとり、日浦美月は同窓会が終わった頃に登場し、「自分は殺人犯になってしまった」とQBたちに打ち明ける。
QBの妻・理沙子(旧姓・高倉)は、かつてのマネージャー仲間。
理沙子は美月をかくまうことを決める。
実際、それが始まると、当然、いろいろと具合が悪いところが出てくる。
そのような状況に美月が気遣い、美月はQBたちのところから身を隠すことにする。
美月が消えてから、その美月を追っていく過程で語られる、他の性同一性障害の人たちとその人たちを守る団体の活動。

最後のシーンでは、同じアメフト仲間の中尾(実はガンで死期が迫っている)が、美月の身代わりになって車ごと海に飛び込んで自殺するところが出てくる。
美月は中尾となって生きていく。
かつての仲間たちが今も持つ『絆』のものがたりでもあり、『性同一性障害』というテーマを考えさせるものがたりでもあった。

#情報科教員MTの読書記録・・・・2012-01-09から2012-01-16
                       10日で1回読み終えた。



#ここのところネット上への記事投稿が滞っている。
 この記事は実際には2012-04-09に投稿した。


2012年01月09日

『手紙』を鑑賞!!

東野圭吾氏の原作、『手紙』の映画版をひかりTV(旧・4th Media)で観た。

『手紙』 DVD版(原作・東野圭吾) 『手紙』 DVD版(原作・東野圭吾)

『手紙』 東野圭吾・著 『手紙』 東野圭吾・著

原作ではジョン・レノンの『イマジン』が重要な位置を占めていて、主人公の武島直貴がバンドのヴォーカルになって歌うことになっていたが、映画版ではバンドのヴォーカルではなくお笑いのコンビという設定になっていた。
恐らく『イマジン』に対する使用料の問題で、コストが掛かりすぎでそれを抑えるために脚本を買えたのだろうと推測した。

全体的なイメージはほぼ原作通りに進んでいたのではないかと思う。

主人公・武島直貴を演じた山田孝之氏、その兄で剛志役の玉山鉄二氏の演技が光っていた。
切ないものがたりだったが、主人公に対する世間の風当たりは、残念ながら現実の世界では当然起こりうることだと思う。
犯人である加害者は、家族のことまで考えた上で、事に及ばなければならない(つまり、事件を起こしてはならない、実行してはならないということ)ということが書かれていたが、まったく、その通りだと思った。


#ここのところネット上への記事投稿が滞っている。
 この記事は実際には2012-02-21に投稿した。

2012年01月08日

『手紙』を読了!!

東野圭吾氏の『手紙』を読み終えた。

『手紙』 東野圭吾・著 『手紙』 東野圭吾・著

両親と死別して兄弟で暮らしていた剛志と直貴。
中のよい兄弟で兄の武島剛志は、頭のよい直貴をよい大学に上げようと日々努力しているよき兄であった。
勿論、大変に弟思いの兄である。
そんな兄の剛志が犯してしまった強盗殺人。

弟の学資を作るために、手を染めてしまったもの。

勿論、逮捕されて刑務所に入れられてしまう。

本当の意味でのひとりになってしまった直貴は『、犯罪者の弟』というレッテルを貼られて、惨めな生活を送ることになる。

担任の先生、最初に勤めたときのベテランの先輩、社員として採用が決まった電気量販店の社長のアドバイスなどところどころで善意にも触れられるが、厳しい現実も教えられる。

バンドのヴォーカルとしてもてはやされるが、いざデビューとなると家族環境を調べられて話が止まってしまうこともあった。

最初のパイト先で取り合った同じ境遇の女性と結婚し子どもも生まれるが、常に隣り合わせの『世間の白い目』。

ジョン・レノンの『イマジン』がものがたりのところどころで、大きな存在になっている。

兄との手紙のやりとりも負担になってきて、返事も送らない直貴をみて、陰で直貴になりすまし、健気に手紙を返す妻の由美子。

自分の娘と妻がひったくり強盗にあい、その犯人が捕まる。
犯人の両親が直貴夫婦のところに謝りに来た、その姿を見て、直貴は、兄がかつて殺してしまった老婦人の息子のところに謝罪に赴く。
この部分も実にこころに迫ってくるものがあった。


−−−−

かつてのバンド仲間のリーダーから誘われて刑務所に慰問コンサートに行く直貴。
兄の収監されている刑務所である。
兄のいる前で、『イマジン』を歌うことになっているのだが、どうしても声にならない。
このラストシーンが本当に切ない。


ひかりTV(旧・4thMedia)の見放題コースで『手紙』の映画版が観られるようなので、明日にでも観てみようと思う。


#情報科教員MTの読書記録・・・・2012-01-07から2012-01-08
                     2日で1回読み終えた。

#ここのところ、記事の投稿が滞っている。
 この記事は実質2012-03-18に書いた。


2012年01月06日

『秘密』を読了!!

東野圭吾氏の『秘密』を読み終えた。

『秘密』 東野圭吾・著 『秘密』 東野圭吾・著

設定的には、北村薫氏の『リセット』に近い。
少し違うけれども、赤川次郎氏の『ふたり』も同じような設定のものがたりだ。

ひとりの人間に別の人格が入ってしまうというもの。
『秘密』では、バスの事故で自分の妻を失い、自分の娘も意識喪失状態になってしまった主人公・杉田平介に驚くべき事が起こる。
娘の意識が戻ったものの、その人格は自分の妻・直子であるという設定なのだ。
順調に治療が進み退院してから、自分娘の中身は自分の妻であるということに気づく主人公の平介。

妻は自分の娘になりすまし、もう一度自分の人生をやり直す決意をする。
女性として自立できる道を模索する。
実は医者になろうと決め、そのための努力をするわけだ。
なりすましと書いたが、身体そのものは娘・藻奈美なのだから、藻奈美が医者になろうといっているということもいえる(何といっても、人格だけが母であるという状態は、普通ではなかなかないことだから)。
勿論、このはなしの中では、読者には妻が医者を目指すように見える。
娘の身体に、娘の人格が戻ったときに、自立した生活ができるようにという母のこころが痛いほど伝わってくる。

娘・真奈美になりきろうと努力する直子と、それに協力する平介。
当然、上手く立ち居振る舞することができなくて、多少ドタバタするところが出てくるのも他の二作品と同様である。

途中に挟み込まれる被害者と加害者の問題。

この事故は、スキーに行くために乗ったバスが起こしてしまったこものである。

その加害者、つまり、バスの運転手と、その周辺に迫っていく被害者としての平介。
まじめな正確の人だったが、何故無理をして過密なシフトを自ら組んで運転業務を繰り返したのか。
その『秘密』が解き明かされていく中で、ラストシーンではもう一つの『秘密』も描かれていてこころ温まる結末になっていた。
初めて読んだ東野圭吾作品だったが、多くの人が絶賛する作家であることがよく分かった。



#情報科教員MTの読書記録・・・・2012-01-05から2012-01-06
                     2日で1回読み終えた。


#ここのところ、記事の投稿が滞っている。
 この記事は実質2012-03-13に投稿した。


2012年01月04日

『忍びの国』を読了!!

和田竜氏の『忍びの国』を読み終えた。

『忍びの国』 和田竜・著** 『忍びの国』 和田竜・著(文庫版)

『しのびの国』 和田竜・著 『忍びの国』 和田竜・著(単行本版)

わたしにとって和田竜作品の2作目。
『のぼうの城』のときも、何ともいえない『痛快さ』を感じたが、この『忍びの国』も同じだった。

織田信長が最も恐れていたという『伊賀軍団』。

父・織田信長の命令に背いて、伊賀攻めに出てしまった織田伸雄(おだのぶかつ)。
伊賀ものたちは、金の多さでどちらに付くかを決めるという集団なのだが、今回の闘いは自らの郷を守るだけの闘いなので金にはならない闘いだ。
伊賀攻めのため迫ってくる織田伸雄率いる織田軍を相手に闘うことになってしまった伊賀ものたちに、自分の祖国・伊賀の郷を守るために無償のはたらきをすることができるのか、伊賀ものたちのこころは二分される。

この小説の主人公、無門(むもん)も金で動く典型的な伊賀もので、その中でも1、2を争う凄腕の持ち主だ。

どちらかというと一匹狼のような無門だが、自分の妻・お国(妻にするために略奪してきたが、自分の稼ぎが悪いので正式には一緒にはなっていない女性だ)の持ってきた茶碗を使って軍資金にする。
妻・お国の提案だ。
これを元手に伊賀もののこころを一つにして、織田伸雄軍に挑んで行く。
このような話の展開が楽しい。

この闘いで、無門は最愛の妻・お国を亡くしてしまう。
『お涙頂戴』もしっかり入っていて、こころを動かされてしまう。

最後の方では、無門ひとりで伸雄のところに忍び込んで、伸雄の寝首をかけるところまで迫っていくのだが、この辺が痛快なところだろう。
伊賀もの嫌いの信長にして、「わしの間者にならんか」と言わしめるところなども、最高だ。

結局、この戦(いくさ)は伊賀勢が勝って終わるのだが、無門自身は織田方に雇われること嫌い、伊賀方に残る道も捨てて、京の町で暮らすことを決める。

「京の町で昼寝でもするさ」

ということばが、いかにも無門らしいと思った。

終章では、この後日談が書かれているが、それはここには書かない。


#情報科教員MTの読書記録・・・・2012-01-04から2012-01-04
                     1日で1回読み終えた。

#ここのところ、記事の投稿が滞っている。
 この記事は実質2012-03-13に投稿した。

2012年01月03日

『骸骨ビルの庭(下)』を読了!!

宮本輝氏の『骸骨ビルの庭(下)』を読み終えた。

『骸骨ビルの庭(下)』 宮本輝・著 『骸骨ビルの庭(下)』 宮本輝・著

杉山轍太郎という資産家の男が建てた杉山ビルヂングが骸骨ビルだ。
轍太郎の死後、このビルは妾の子であった阿部轍正に相続される。
正妻の子ではなく阿部轍正が相続したのは、茂木泰造の働きかけがあったからだという。

杉山ビルヂングに来た阿部轍正は、先客の孤児が自分の家にいることを知り、成り行きで育てることになる。

阿部轍正が育てた戦争孤児たちのひとりだった桐田夏美。
その夏美によって「阿部轍正から性的暴力を受けた」と訴えられ、冤罪事件に巻き込まれる阿部轍正。
正妻の子の関係者である宇田川典国から頼まれて、嘘をついた夏美。

冤罪を正すことなく亡くなってしまう阿部轍正。

阿部轍正の死後、ふたたび発生する骸骨ビルの立ち退き問題。

茂木泰造は既に立ち退きには応じるつもりなのだが、その条件は阿部轍正の冤罪を晴らすこと。
そのためには桐田夏美を説得しなければならない。

八木沢省三郎(ヤギショー)もそれを行うべくして、桐田夏美に会いに行くが、最早、そういう感じでもないというところか・・・・。
会うだけで詳しいはなしはせずに土産を買って帰って来るだけだった。
骸骨ビルで育ったチャッピーとここで出くわし、桐田夏美とチャッピーの関係を知るヤギショー。
そして、「5月31日に骸骨ビルにみんなで集まろう」とチャッピー経由で桐田夏美に伝えたヤギショー。
茂木泰造も既に夏美に真実を語って欲しいとは思って居らず、骸骨ビルに一度、顔を見せることだけを望んでいる。

その5月31日。
勿論、夏美は来なかったが、既に骸骨ビルから巣立っていった人たちも集まって、昔を懐かしむ。
かつて阿部轍正が記録したノートのコピーが、それぞれに手渡せられる。
ひとりひとりに災いが起こらないようにという祈りが書かれたものだ。

これを境にして、6月10日に立ち退くことを約束したところまでが語られている。

中村文則氏の解説に導かれて、再び上巻に戻ってみると、「なるほど、茂木泰造氏は骸骨ビルを立ち退いてから約十二年生きたのだなぁ」と感心し、そして、それが冒頭から設定されていたことに対して構成の周到に驚いた。
阿部轍正が、孤児たちを育てようと決意したのも「おじさんは光の中からやって来た」ということばがあったからであり、戦争で生き抜くことができたのも光をみたからであるなど、『光』が印象に残っている。

#情報科教員MTの読書記録・・・・2012-01-02から2012-01-03
                     2日で1回読み終えた。


#ここのところ投稿が滞っている。
 実際の投稿は2012-03-08にしたもの。


2012年01月02日

『武士道シックスティーン』を鑑賞!!

ひかりTV(旧・4th Media)で、『武士道シックスティーン』の映画版を観た。

『武士道シックスティーン』 誉田哲也・著 『武士道シックスティーン』 映画版(DVD版)

『武士道シックスティーン』 誉田哲也・著 『武士道シックスティーン』 誉田哲也・著=原作=


磯山香織が通っていた『桐谷道場』は、映画版では存在しないことになっていて、磯山香織は自分の父に剣道を習っているという設定になっていた。

原作では、桐谷道場の桐谷玄明先生は重要なキャラクタになっていて、磯山香織や西荻早苗(甲本早苗)に稽古を付けながら、武道とはどういうものなのかとか、剣道に対する心構えなどいろいろなことを教えることになっている。

小説の方では、『武士道セブンティーン』でも、要所要所で桐谷玄明先生が登場してきたと思う。

残念ながら、映画版では桐谷先生は登場しないので、物語の厚みがなく何だが薄く感じられた。

また、磯山香織は髪の毛がボサボサな男の子のような女の子というイメージだったが、映画版では磯山香織役は成海璃子さんで歳は若いものの美人すぎて、わたしの考えている磯山香織のイメージとは違っている。
磯山香織役として、比較的口汚い言葉を発していたようだが、何だが違和感があった。

キャスティングはともかく、桐谷道場の桐谷玄明先生が登場しないという点は大きな脚本ミスのように思えた。

#例によって、投稿が滞っていて、今回の投稿は2012-02-19である。


『骸骨ビルの庭(上)』を読了!!

宮本輝氏の『骸骨ビルの庭(上)』を読見終えた。

『骸骨ビルの庭(上)』 宮本輝・著 『骸骨ビルの庭(上)』 宮本輝・著

およそ3年前に単行本が発売されたときに、是非とも読んでみたいと思った本である。
例によって、わたしは文庫版が出てから、それを買って読むことをポリシーにしているので、結局、購入することなくここまで来てしまった。
今回、晴れて『文庫版』が発売されたので、発売とほぼ同時に購入しておいたものである。

冬休みのこの時間帯を使って、読んでしまおうと読み始めた。

昭和16年に建てられたという杉山ビルヂング。
この本の舞台となる『骸骨ビル』の正式名称だ。
住人を立ち退かせ、このビルを解体するために送り込まれた男(八木沢省三郎)が、管理人として過ごした3ヶ月間を書いた日記として語られている。
住人たちは戦争孤児として、このビルで育てられた人たちで、骸骨ビルの主は、当初20代という若さの阿部轍正。
この戦争孤児たちを育てるために奮闘するわけだが、ものがたりの展開は今は立派に成長した孤児たちが阿部轍正を語り、それを八木沢が誠実に聴いていくという形で進んでいく。

最初の数ページで完全に引き込まれてしまうのは、いつもの宮本輝作品に共通したことだ。

浜田興産。
月刊スイートパンサー。
人材派遣のキノシタ。
タイコー彫金。
日本粉新聞社。
サクラ探偵事務所。
唐木工業株式会社大阪支社分室市田研究所。
木内運輸。
デザイン工房・ワイドビュー。
小田勇策(ナナ)。
茂木泰造。

最後のひとりは阿部轍正の同志で、共に孤児たちを育てた男だが、あとは孤児たちの今の職業を表している。
『粉新聞社』などというのは、じっくり考えると何だか恐ろしい新聞社のようにも思えてくる。
ちょっとここでは書けないようなものを作っている男もいたり、小田勇策(ナナ)のような人もいて、それぞれのキャラクターがユニークで興味深い。

「このなかに管理人として住み着いてしまう八木沢省三郎という男もただ者ではない」と思えてしまうところが
、若き阿部轍正が多くの孤児たちを育て上げたことと合わせて、この作品の凄いところだと思う。


#情報科教員MTの読書記録・・・・2012-01-01から2012-01-01
                     1日で1回読み終えた。

#ここのところ投稿が滞っている。
 この投稿は2012-03-01に行った。

2012年01月01日

2011年12月に読んだ本たち

この記事は実時間で2012-02-19に書いている。
通常、その月の1日には前月に読んだ本のまとめを書いているのだが、ここのところネット上のサービスは眺めるので精一杯で、何だが書き込みはストップしている。

趣味の読書の方は、特に変わったことはなく適当なペースで読んではいるのだが、それを記録するところが滞っているわけだ。

ということで、1ヶ月と20日程度遅れて自分のブログ上では、年が明けたことになる。

−−−−

2011年12月に読んだ本たちを一覧してみた。

『古事記講義』を読了!!(2011-12-10)
『オーディオの作法』を読了!!(2011-12-12)
『私の古事記物語』を読了!!(2011-12-24)
『鴨川ホルモー』を読了!!(2011-12-25)
『武士道シックスティーン』を読了!!(2011-12-26)
『武士道セブンティーン』を読了!!(2011-12-27)
『ひかりの剣』を読了!!(2011-12-28)

月に7冊読み終えた。


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杉並区にある文化女子大学附属杉並中学校・高等学校で情報科教員をしていた津久井 大(まさる)と申します。
2019年3月に定年後、1年間雇用延長で働き、2020年4月から完全にリタイアしました。

従って正確には『元・情報科教員MTのBlog』ということになりますが、タイトルはこのままにしてあります。

元々は理科教員で、暫く理科と情報科の兼任をしていましたが、教育制度に則った情報科ができた2003年に情報科のみを教えることになりました。
my_twitter
@mtsinfodl