2012年07月

2012年07月31日

教員免許更新講習

今年と来年にかけて、わたしは教員免許更新講習を受講しなければならないことになっている。

希望はしたものの受講者数が予定数に達してしまい受付できないということは避けたいという心配から、一番早く受付が始まった『桜美林大学の更新講習(e−ラーニング)』に申し込むことにした。
募集開始後の比較的早い段階で申し込みをしたので、問題なく受講者になることができた。
4月26日には、受講のための機器も来て、一安心というところまでは進んだ。

この間、何もしなかったが、わたしも夏休みに入ったので今日から始めることにした。

機器の設定などは問題なく終わったが、初期登録というものに四苦八苦した。

自分の名前や1から10までの数字を読み上げて、自分の声を登録するのだが、この11個の読み上げ項目を完全にクリアするのに2時間弱(1時間45分)も掛かってしまった。
バカみたいに不毛な時間を過ごしてしまった。

この2時間弱の時間で、このシステムの音声認識の癖みたいなものを掴んで、やっと全部クリアして初期登録完了。

これをクリアすればあとはそれほど問題はないみたいである。

今日は3コマくらいやってみるかと予定していたのだが、初期登録に疲れてしまって、1コマでやめることにした。
1コマ目は『情報リテラシー関係』だったので、わたしにとっては特に問題はない内容だった。

あと、29時間である。

2012年07月30日

『贄門島(下)』を読了!!

『贄門島(下)』を読み終えた。

『贄門島(下)』 内田康夫・著 『贄門島(下)』 内田康夫・著


廣部代議士と美瀬島の人たちとの関係。
美瀬島と、ある国との関係。
天羽正叔父と石橋先生との関係。
失踪した石橋先生の過去を追っていく光彦と天羽紗江子。
ひょんなところから発見される石橋先生。
天栄丸にいるサトミという男の素性。
そして、石橋先生と正叔父の出生の秘密。

最後は少しは希望を感じる結末だが、その先に未来はあるのかとも思われる切ない結末でもあった。

#全編通して読まないと、ここに書いただけのことでは何のことだかわからないだろうなぁ。


情報科教員MTの読書記録・・・・2012-07-28から2012-07-30
                    3日で1回読み終えた。

#ここのところネット上への記事投稿が滞っている。
 この記事は実際には2012-12-26に投稿した。

2012年07月29日

denonのD-F109シリーズ

何気なくdenonのページを眺めていたら、efシリーズが新しくなることを知った。

http://www.denon.jp/jp/News/Pages/News-Details.aspx?NewsType=company%20news&NewsId=174&Year=

D-F109シリーズとなるとのこと。

今までのF-107シリーズの発展系に新たにネットワークプレイヤーが加わるらしい。

これまでのefシリーズを持っていて、「同じ筐体デザインのネットワークプレイヤーが発売したら直ぐにでも購入するのにな」というユーザーは多いと思う。
このように書いているわたしもそのひとりだ(だった)。

わたしの場合には、DNP-720SEやRCD-N7が出てしばらく、待っていたけれしども我慢できなくなってRCD-N7を購入し、その後、DNP-720SEも購入してしまったので、今は買わないと思う。
しかし、D-F109シリーズの流れは、極めて順当な流れで、出るべくして出る製品というところだろう。
そのような意味からしても、魅力的な製品群だとわたしは思う。

今、リビングのオーディオ機器はONKYOのA-5VL、denonのDNP-720SEと、CDプレイヤーとしてのDCD-F102と、それをリモコンで使うためのDRA-F102が動いている。

(CDプレイヤー関係でいえば)先日、denonのDCD-755SEがDCD-755REとなったので次はDCD-1500SEやDCD-1650SEの後継機かと期待していた。
わたしとしては、今現在、CDプレイヤーを買い換えてdenonのDCD-1650SEの後継機が欲しいと思っているので、『それ待ち』なのだが、EFシリーズがD-F109シリーズとなって新しくなることが先に発表されたわけである。

矢継ぎ早に発売されることを望むばかりである。



2012年07月27日

『贄門島(上)』を読了!!

『贄門島(上)』を読み終えた。

『贄門島(上)』 内田康夫・著 『贄門島(上)』 内田康夫・著

最初にこの作品の名前を目にしたときに、連想したのが、千葉県鴨川市の仁右衛門島である。

  仁右衛門島

今から15年から20年前にのこと、いまの勤務校に勤め始めて数年の時の職場の慰安旅行で訪れた島である。
鴨川に泊まったのだったか、勝浦に行った帰りに訪れたのだったか忘れてしまったが、随分懐かしい方々といった記憶だけは残っているところである。
ここで食べたのはバーベキューのような焼き肉だったようなおぼろげな記憶が蘇ってくる。

下巻の自作解説を読んでみると、やはり、内田康夫氏も仁右衛門島を訪れて、この『贄門島』の構想を思いついたことが書かれてあった。
実際にこの島に住んで居られる方がいらっしゃるので、現実の仁右衛門島を舞台にすることはしないことにして美瀬島という架空の島を作って、その美瀬島を別名、『贄門島』と名付けて小説を作ったとのこと。
この美瀬島は豊富な水産資源で自給自足の生活をしている島で、日本という国家・行政との関わりを絶っているような島である。

さて、上巻では、浅見光彦の、今は亡き父が存命の頃、この美瀬島で海難事故にあって九死に一生を得たはなしから始まっている。
そのときにお世話になった人に、挨拶に行くという。

このとき、生死の境をさまよっている父に、臨死体験のような記憶が残る。
数人の男たちが自分の周りにいて、「こんなにつづけて何人も送ることはない」「そうだな、来年に回すか」といっていたという。

今回のものがたりで、ヒロイン役の天羽紗枝子も、子供の時に同様の経験を持つ。

事件の最初の被害者は、平子裕馬(ひらこゆうま)という同業者。

続いて起こる事件の被害者は、浅見光彦が挨拶に行った国会議員(廣部馨也)の秘書、増田。


天羽紗枝子の小学校時代の教師、石橋先生の失踪。
廣部代議士事務所の事務員・星谷実希も絡まっていて楽しい。

美瀬島の網元のような役割を果たしている天栄丸。
天羽紗枝子の叔父である天羽正。
かつて、石橋先生に好意を抱き、結婚間近までいった正叔父である。
平子が追っていた事件とは・・・・・。

和倉地区と美瀬島との敵対関係など、いろいろなことがはなしの中に織り交ぜられている。
さあ、下巻はどうなるのだろう。


情報科教員MTの読書記録・・・・2012-07-24 2012-07-27
                    4日で1回読み終えた。

#ここのところネット上への記事投稿が滞っている。
 この記事は実際には2012-12-26に投稿した。

2012年07月23日

『明日香の皇子』を読了!!

内田康夫氏の『明日香の皇子』を読み終えた。

『明日香の皇子』 内田康夫・著 『明日香の皇子』 内田康夫・著

私の読んだ本は昭和61年06月10日発行の角川文庫初版で、多分その頃(本が出たての頃)買ったものである。
『明日香』ということばと『皇子』ということばに強い興味を持っていたものの、ずいぶん長く『積ん読』しておいたものだ。

表紙カバーの装丁は、今のものとは違うが、所有しているものが角川文庫版なので、このリンクを張っておくことにした。

プロローグで、太平洋戦争下の第16軍司令官として指揮を執っていた陸軍中将・今村均の紹介をしている。
実際の今村均も非常に指導力のある人で、オランダ領であったインドネシアを攻略した後はインドネシア独立運動の指導者・スカルノなどの政治犯を解放し、インドネシア独立に力を発揮したり、実力、人望ともに厚き人だったようである。
ここでは、少々、神かがった感じでものがたりへの興味を導いている。
このものがたりでは、今村中将に紀乃本太尉という副官が付いており、紀僧正(真済(しんさい:打田康夫氏の『明日香の皇子(昭和61年06月10日発行)』には「しんさい」の読みが振られているが、ネット上の何件かを調べた限りでは「しんぜい」という読みとのこと))ゆかりの紀一族の末裔ということが紹介されていて、更に興味がわいてくる。

−−−−−

さて、ものがたりの主人公は村久紘道(むらひさひろみち)。
大東広告という広告企画会社の社員である。
ヒロインは能見恵津子(のみえつこ)。
村久と同じ大東広告の社員で、村久の恋人である。
この能見恵津子が失踪してしまうところから、はなしが始まり、能見恵津子を『お嬢様』と呼ぶ男(エイブルック社の駐車場係として勤務する会社員)から会ってお渡ししたいものがあるといわれて出向いていった上野で、この男が襲われ亡くなってしまう。
このとき、この男がいったダイイングメッセージが『アスカノミコ・・・・・・』。
また、村久の同僚で写真部門で働く北田祐司も命を落とす。
村久本人にも危険が迫っており、ぐいぐいとものがたりの世界に引き入れられていく。

恋人とはいえ、自分の出自を余り語りたがらなかった能見恵津子。

調べていくと自分の勤務する大東広告の二大顧客のひとつエイブック創業者の孫であった。
今まで考えたこともなかった村久だが、エイブルックとは『able(能)』と『look(見)』のように名字の2文字を単純に英語に置き換えた社名であったのだ。
現社長は『能見家』という創業者一族を追い出したといわれている菊野秋雄。

実は失踪前の能見恵津子から預かっていた自筆絵画の下には写真が隠されていて、これが大変なものであった(どのような時代に撮られた写真なのか、誰が写っているのかなどはあえて書かない)。

−−−−−

村久の周りに迫ってくる敵。
その敵は現・エイブルックのグループか。

不思議なことに、村久が暴漢に襲われたときには、そこにいるはずもない部下の服部がいつの間にかいて助けに入ってくれたり、新幹線でケースを盗まれそうになったときにそれを阻止するような乗客がいて助けられたりしている。
村久を陰ながら助けているグループもあるのだということが、読み進めていくと分かってくる。
それがどういうグループなのかが、また、興味をそそる。


そのような折、村久がエイブルック担当から理不尽な状態で降ろされる。
事の真相を知りたいと取締役第一本部長・坂元貞一郎に詰め寄ったところ、服部も村久とともに別担当にしたこと、コネが入社の絶対条件だった大東広告に入社できたのは紀乃本という男の推薦があったからだということを知らされる。
わたしが読んだ文庫版では183ページに書かれている。

ここでやっと、プロローグの紀乃本大尉の『紀一族』と村久の繋がりが明かされて、わたしの『興味のボルテージ』はクライマックスを迎える。

−−−−−

栗山という双子の老人。
その配下の荒木。
強面の男だ。
写真のありかを追うグループだ。

紀乃本老人との接触。

能見恵津子の奪還。

アスカノミコとは誰なのだろうか。
最後にその正体が明かされ、驚きの結末となる。

『浅見光彦』も『岡部警部』も『信濃のコロンボ』も出ない小説だけれども、『手に汗握る面白さ』とはこのようなことをいうのだろう。

76ページで村久に向けて、坂元本部長の言葉として語らせている

「だったら、いまこの時から考えるようにすることだな。世の中の連中−ことに若い者や子供たちの多くは、現代の繁栄を空気のように当然のこととして考え、浮かれているが、たとえ日本が浮沈空母だとしても、この繁栄は揺れもすれば、沈みもする。揺らすものは誰か。沈めるものは何か。国民は安寧をむさぼるだけではだめだ。国家に対して何を為し得るかを自分に問いかけ、そこから得た答えを実行するものでなければ、国民たるの資格はないに等しい。いま、社会は善悪の基準があいまいになり、秩序は乱れきっている(以下、中略) 日本は・・・・・・」

で終わる長文の演説口調の台詞は内田康夫氏が日頃思っている現在の日本への警鐘なのであろう。
ストーリー展開も素晴らしいと思うし、好きな作品の一つとなったが、何より、このようなところが好きである。
身が引き締まる思いがする。


#情報科教員MTの読書記録・・・・2012-07-20から2012-07-23
                     4日で1回読み終えた。

246ページの
「そのほかに、紀僧正と呼ばれる、最澄という人も有名です」

という部分は『真済』の誤りであろう。


#ここのところネット上への記事投稿が滞っている。
 この記事は実際には2012-11-05に投稿した。

2012年07月19日

『幸福の手紙』を読了!!

内田康夫氏の『幸福の手紙』を読み終えた。

『幸福の手紙』 内田康夫・著 『幸福の手紙』 内田康夫・著


不幸の手紙を貰った中村典子(愛称:ノリピー)。
ゴールデンガイドブックスを刊行している実業書院の編集者である。
編集長の佐藤に頼まれて、一緒に出かけていった熱海のホテルで、泰明出版の『TIME・1』という売れ筋週刊誌の記者で長谷という男に出会い、その長谷が典子対して妙に慣れ慣れしくしてくる。

そして、言い寄ってきた割には、北海道でみた『半分の馬』のはなしをし始めたときに、何かを思い出したようで、典子を置き去りにして去ってしまう。
半分以上本気の『プロポーズ』のような形だったのに、いきなりその場から居なくなってしまう長谷という妙な男。

その後、ものがたりの中でその長谷が井の頭公園の事件で被害者として示されて、浅見光彦の扱う『事件』となっていくのが、今回の『幸福の手紙』である。

『半分の馬』というのは、文庫本の最初に紹介されている神田日勝・作の『馬』という作品。
未完成の作品で、馬の姿が半分で終わっている神田日勝の絶筆作品だ。
最初は北海道の日勝峠かと思われたが、調査に訪れた光彦が神田日勝美術館を発見し、『半分の馬』と遭遇する。
いきなり、本の最初に『半分の馬』が提示されていることに批判の声もあるようだが、私は逆に思った。
この『馬』という『半分の馬』の作品から、ものがたりが展開できてしまうのだから、ただただ軽井沢のセンセの才能に驚くばかりであると、わたしは思うのである。

話は逸れたが、実は時を同じくして同じ井の頭公園で、バラバラにされ遺棄されるという『事件』が起こっている。

また、時間軸としては別の日であるが、第3の事件が起こる。
中村典子に『不幸の手紙』を送った末次真也子という友人が、事件に巻き込まれて亡くなってしまう。
中村典子のまわりで次々と起こる事件が、『不幸の手紙』との関係があるかのように語られ不気味さが増してくる。

その美也子の住まいに『不幸の手紙』が残っていないという事実。
そして、『不幸の手紙』ではなく、『幸福のお裾分け』という『幸福の手紙』が幸福駅から送られてきていることも確認された。

最初の取材先(熱海のホテル)で会った竹内清堂画伯と姪の天野奎那。
竹内清堂の『ぼやき』による、天野奎那の相手に対する推測。
兄・陽一郎の恩師で法医学の権威、清原武雄教授。

結末はそういうことだったのかという展開。

毎度思うことなのだが、全く関係のない『事件』を上手いことつなぎ合わせていくところが見事である。



#情報科教員MTの読書記録・・・・2012-07-17から2012-07-19
                     3日で1回読み終えた。

#ここのところネット上への記事投稿が滞っている。
 この記事は実際には2012-11-04に投稿した。


2012年07月17日

『一九八四年』のあとは・・・。

『一九八四年』のあとは、村上春樹氏の『1Q84』を読む予定だったのだけれども、あまりにも『一九八四年』が、おどろおどろしく、ヘビーな内容だったので、少しでも気分が高揚する、元気を取り戻せるようなものが読みたくなった。

ということで、『天地明察』を選択した。

勿論、どこかのタイミングで読みたいと思っていた本なので、予定変更に関して何の違和感もない。

この感じだと、『1Q84』は、しばらく先延ばしになりそうである。

#予想通り、『天地明察』を読んで、元気が出てきた。


2012年07月16日

『天地明察(下)』を読了!!

冲方丁氏の『天地明察(下)』を読み終えた。

『天地明察(下)』 冲方丁・著 『天地明察(下)』 冲方丁・著

下巻は、安井算哲が、最初の結婚をしたところからはなしが始まる。
妻の『こと』は、ことの外、病弱で、直ぐに風邪を引いてしまう。
その妻のために、算哲は向島の『咳除け爺婆の石像』、八丁堀の『化粧地蔵』、長延寺の『牡丹餅地蔵』など、病気平癒、健康祈願の御利益のあるところに出かけていくのが日課になってしまっている。
妻の健康状態がよくないということは悲しいことであるが、それを気遣ってくれる算哲を妻のことは好意的に思い、幸せを感じている。
算哲は算哲で、同じように幸せな日々を送っていると感じでいる。

−−−−−

算哲を支えるサポーターには、そうそうたるメンバーが大勢いる。

会津・初代の殿様、『保科正之』。

(若き日のと表現してよいのだろうか)40歳のときの『水戸の御屋形様』。のちに『水戸光圀』となのることになる『あの方』である。
筋骨隆々、見事な体躯

と表現されているのだが、『黄門様』のイメージが強く、かえってこのときの『水戸の御屋形様』のイメージが強く浮き上がってくる。
爽快かつ快活そうで、好印象の力ある殿様という感じがする。

『安藤有益(あんどうゆうえき)』。
勿論、算哲も知っている、会津藩きっての算術家。

上巻で安井算哲に『この仕事』を持ちかけた老中の『酒井雅楽頭』(酒井忠清:さかいただきよ、上巻71ページの記述によると『若干38歳の老中』とのこと)

山崎闇斎(やまざきあんさい)、算哲が幼かったときからの師である。

そして、上巻で『素敵な味』を出していた『建部昌明』と『伊藤重孝』。

算哲と同じような身分のものとしては算術家の『村瀬義益(むらせよします)』など。

これだけしっかりしたバックアップ体制をみていると、仲間の大切さなどがじわじわと身にしみて分かってくる感じがする。
勿論、算哲の力量が群を抜いているので、素晴らしいサポーターたちに恵まれたということもいえるとは思う。

−−−−−

妻、ことの死。
自分のふがいなさに意気消沈する安井算哲。

−−−−−

最初に安井算哲が考えた『授時暦』。
これまでの『宣命暦』、『大統暦』と勝負をして全て勝ってきた『授時暦』だったが、最後の最後で予報を外し、改暦の機運が消滅する。

−−−−−

村瀬えんとの再会。
ことばでさらりと書いてしまうと味も素っ気もないが、『算哲』と『えん』にとっては、プライベートではクライマックスである。

関孝和からの大罵倒と改暦事業へのエール。

その後、『算哲』と『えん』は、配偶者と死別したもの同士での再婚ということになる。

−−−−−

安井算哲が考えた改良版、『大和暦』。

土御門家の土御門泰福(やつみかどやすとみ)を仲間に引き入れて、あくまでも表向きは土御門泰福が師で、安井算哲が弟子という形ではなしを進めていく。
梅小路でのパフォーマンス。
『大和暦』の正確さを庶民に分かってもらうためのもの。

そして、それを土御門家の発案として、上奏していく。

だれが作ったのかなどということは、関係ない算哲の心意気が素晴らしい。


#情報科教員MTの読書記録・・・2012-07-14から2012-0716
                    3日で1回読み終えた。

#ここのところネット上への記事投稿が滞っている。
 この記事は実際には2012-11-03に投稿した。



2012年07月13日

『天地明察(上)』を読了!!

冲方丁氏の『天地明察(上)』を読み終えた。

『天地明察(上)』 冲方丁・著 『天地明察(上)』 冲方丁・著

2010年の本屋大賞受賞の時(いや、ノミネートされたときくらいか)に、これは単行本を買ってでも読みたいと思った本である。
結局、我慢して3年間待ってしまったけれど。

ということで、主人公は安井算哲(やすいさんてつ)。
渋川春海(しぶかわはるみ)と名乗っていた囲碁方(囲碁指南)である。
算術好きで、天文にも明るく、ひょんな事から改暦の大仕事を依頼された男である。

序章で、回想シーンがあるのだが、依頼を受けてから23年間のものがたりが、ここから始まっている。


−−−−−

渋谷の宮益坂にある金王八幡(こんのうはちまん)。
奉納されている算額を見に行くのである。

ここで出会うのが村瀬えんというむすめだ。
算術家・村瀬義益(むらせよします)の妹である。
後の安井算哲の妻になる人なのだが、算哲も、えんも一度、別の人と結婚をしている。
もともと、お互いに気になる存在であったが、今でいう『バツいち』どうしの結婚でそのときには縁がなく、長いときを経ての結婚である。

ものがたり全体を流れる展開としては、最初に書いたように『ただの碁打ち(とはいえ、将軍様に囲碁を指南する囲碁指南)』が、趣味の算術や天文に関する造詣の深さから『改暦』の仕事を任され、実現するまでである。

序章によれば23年の月日が流れたことになっている。

上巻は、金王八幡での『村瀬えん』との出会いから、改暦のための準備段階としての『北極出地』調査団の形成(隊長は建部昌明(たけべまさあき)という62歳の老人で、伊藤重孝(いとうしげたか)という57歳の男が副長である)、その活動までが語られている。

『北極出地』とは北極星の高度を測ることでその場所の緯度を求めることなのだが、この建部昌明と伊藤重孝は江戸からの歩数と算術でこれを求めるという途方もないことをやっており、その誤差を悔しがる。
偶然の産物ということになっているが、安井算哲は計算でこれを求めて『明察』となる。
この辺の3人のやり取りが実に楽しい。
わたしは理科系の人間なので、何かに没頭するということに関して、この3人の様子が身をもって分かるような気がした。

この三人は、お互いに力を合わせつつ、そして、立場の違いなどはお構いなしに、お互いの力を尊重・尊敬し合っている。
安井算哲は、この2人の補佐役であったが、裏の役目でいえば安井算哲の指南役として算哲を今まで以上に力強いものにしていくという役目を持っていたのであろう。
老人たちは自らの命の限界まで全勢力を傾けるが、建部、伊藤の順に、あとを安井算哲に任せて去っていく。

建部老人が労咳で、この仕事から離れていくときに、伊藤重孝と安井算哲に明かした自分の望みが

「渾天義(こんてんぎ)」

の一言。
息絶え絶えながらも、自らの手を広げて凛として、

「それを、こうして・・・・・・、こう、双腕に天を抱きながらな、三途の川を渡りたいのだ」

「そう思っていた・・・・・・ずっと、いつの頃からか、な」


それを受けて、安井算哲が

「精進いたします」

というシーンがある。

建部老人のことばには現れていない「あとは頼んだぞ」という気持ちが、『以心伝心』、安井算哲に余すところなく伝わるところが、私のこころに刺さる。
このとき、建部の状態をしっかりと理解していない安井算哲に、「しょうもないなぁ」という感じとともに親近感を抱くのだが・・・・。

少し『とき』を移して、今度は伊藤重孝が、安井算哲に話した『自らの望み』が、(中国占星術の)『分野』という考え方を日本全土に適用すること。
この2人の巨人が、安井算哲に影響を及ぼしたことは、極めて大きい。

上巻では、建部昌明の死まで。



#情報科教員MTの読書記録・・・2012-07-11から2012-0713
                    3日で1回読み終えた。

#ここのところネット上への記事投稿が滞っている。
 この記事は実際には2012-11-02に投稿した。

2012年07月10日

『一九八四年』を読了!!

ジョージ・オーウェルの『一九八四年』を読み終えた。

『一九八四年』 ジョージ・オーウェル・著 『一九八四年』 ジョージ・オーウェル・著


村上春樹氏の『1Q84』が話題になり始めた2009年07月(2009-07-25)に新訳版が公開された『一九八四年』。
解説によると、英国での最初の発刊は1949年だという。

ジョージ・オーウェルの『一九八四年』は1949年からみた『近未来』、村上春樹氏の『1Q84』は現在からみた『近過去』を題材にしたものだという。

まだ、この時点でわたしは『1Q84』を読んでいないが、勿論、強い興味は持っている。
「文庫化されたらば読んでみよう」といういつものポリシー(『小説は文庫を自分で買って読む』)に従って、単行本は買っていないし、勤務校などの図書館で借りることもしていない。

この記事を書いている現在、幸いなことに文庫版は既に発売されているので、6冊全て購入してある。

というわけで、準備は万端。

「『1Q84』を読む前に、必ずこちらの『一九八四年』を読もう」と決めていた。

読み始めて「余り読み続けたくない本だな」と思いつつ、頑張って何とか最後まで読了した。
だいたい、1日100ページくらい読んでいるので、約500ページの『一九八四年』は5日程度で読み終える計算だったのだが、10日も掛かってしまった。
作品全体に漂っている閉塞感・この社会の暗いイメージや、主人公のウィンストン・スミスがオブライエンから『二重思考』を植え付けさせられるために痛めつけられるシーンなどが多くて、どうもページが進まなかったのである。

訳者である高橋和久氏の『訳者あとがき』によると

読んでいないのに、見栄によるのか礼儀によるのか、読んだ振りをしてしもうという経験は万国共通らしく、英国でもかなりの人が身に覚えがある、(以下略)。

しかも、その英国での「読んだふり本」第一位がオーウェルの『一九八四年』だというのである。

ということらしい。

最後まで読まずに終わってしまった人が多いということが、(自分で読んでみて)妙に納得いく作品であった。

−−−−

頑張って読み終わり、「この『一九八四年』という作品はただ者ではない」ということが、第一の感想であった。
この『一九八四年』を読んだ読者の誰もが何らかのことを考えることであろう。
それほど強烈なイメージの本であった。

現実の世界でも、『文書として残っている歴史が必ずしも真実を語ってはいない』ということが強くイメージされた本でもある。
あるひとつの事件で『歴史上の事件』に関しては同じ事実であるはずなので、例えば戦争などで多くの被害者が出た事件だとして、誰が調べても被害者たちの人数などはだいたい同じ数になるはずなのだが、国によって被害者数に大きな違いがあることなどが挙げられる。

また、同一の事実を扱った記事でも、新聞ごとにその主張や、微妙なニュアンスは異なることがしばしば起こる。

このようなことを、わたしに再度、強く意識させた作品であった。

−−−−

1949年の現代からみた1984年という近未来をテーマにした作品で、オセアニア、ユーラシア、イースタシアという3つの大国からなりたっている世界を表している。

ここでいうオセアニアはビッグブラザーという指導者が支配する国で、かつてのソビエト連邦のような国である。
実際、ビッグブラザーとはスターリンをモデルに書かれているとのこと。
同じく、反逆分子として登場するエマニュエル・ゴールドスタインは、失脚したトロッキーがモデルである。

主人公のウィンストン・スミスは、党の報道、娯楽、教育、芸術を担当している部署に勤務している。
ウィンストン自身は報道担当で、過去の記事で矛盾点を改竄し党に都合のよい記事に書き換えることが仕事の部署である。
この仕事やウィンストンが置かれているこの社会に疑問を持っている39歳の男性である。

登場人物の中で重要な位置を占めているのはオブライエンという男である。
オブライエンは党中枢の一員で、作品の中でも重要なポストに就いている『雲の上の存在』である。

−−−−

ウィンストンが生きている社会、つまり、『一九八四年』の社会は、テレスクリーンという双方向テレビジョンで監視されている社会。
テレスクリーンは音を小さくすることはできるが、消すことはできないので、年がら年中、このテレスクリーンから『党のスローガン』などが流れてくる社会だ。
現代社会にも監視カメラがいろいろなところに設置され、時に犯人逮捕に威力を発揮しているが、この程度でも何となく居心地が悪いとわたしは感じてしまう。
こういう監視カメラのようなテレスクリーンが、職場や自宅にも設置されている社会が『一九八四年』の社会である。

−−−−

『一九八四年』の社会を説明するキーワードとして、『二重思考』ということばがあるが、この『二重思考』という考え方はマインドコントロール、洗脳のことをいうらしい。
本文(わたしの読んだ本『新訳版』では)328ページに

二重思考とは、ふたつの相矛盾する信念を心に同時に抱き、その両方を受け入れれる能力をいう。

と説明されている。

2+2は4だが、党中枢が『2+2=5』であるといったら、何の矛盾もなく「2+2は5である」と答えられる能力。

「指は何本あるか」と質問されて、当然5本なのだが、党中枢が『4本である』と指導したら、何の疑問もなく、心から『4本です』と答えられるような能力を『二重思考』という。
恐ろしい世界である。

キャサリンという妻もいるウィンストンだが、現在は別居中で、ジュリアと知り合い、密会を繰り返す。
ミスター・チャリントンは古道具屋を営む老人で、ウィンストンとジュリアの密会を助ける存在なのだが・・・。

オブライエンによる執拗な『二重思考』教育(激しい苦痛を伴うもの)が、読者としての第三者でも見るに耐えないが、最初に書いたように、『文書として残っている歴史が必ずしも真実を語ってはいない』ということが強くイメージされた本でもある。


#情報科教員MTの読書記録・・・2012-07-01から2012-07-10
                    10日で1回読み終えた。

#ここのところネット上への記事投稿が滞っている。
 この記事は実際には2012-10-22に投稿した。

2012年07月01日

2012年06月に読んだ本たち

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MT
杉並区にある文化女子大学附属杉並中学校・高等学校で情報科教員をしていた津久井 大(まさる)と申します。
2019年3月に定年後、1年間雇用延長で働き、2020年4月から完全にリタイアしました。

従って正確には『元・情報科教員MTのBlog』ということになりますが、タイトルはこのままにしてあります。

元々は理科教員で、暫く理科と情報科の兼任をしていましたが、教育制度に則った情報科ができた2003年に情報科のみを教えることになりました。
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