2013年04月

2013年04月30日

『坂の上の坂』を読了!!

藤原和博氏の『坂の上の坂』を読み終えた。

『坂の上の坂』 藤原和博・著 『坂の上の坂』 藤原和博・著

リクルート・フェローから杉並区立和田中学校の校長(現在は元校長)になった方である。

既にポプラ文庫から、文庫版も出ている模様である。

『坂の上の坂』 藤原和博・著 『坂の上の坂(文庫版)』 藤原和博・著

単行本版では『55歳までにやっておきたい55のこと』と書かれていたが、文庫版では『30代から始めておきたい55のこと』とサブタイトル・キャッチコピーが変更になっている。

序論に『人生のエネルギーカーブに気をつけよ』というものがあった。

最初に考えたのは、本文の中にもあるような『一つ山形』。
生まれてから段々とエネルギーが高まっていって、ある時点でピークを迎え、死に向かって下がっていくものだ。
やはり、これがだいたいの人がイメージするものだと思う。
本文を読んでから、再度考えたのが『二つ山形』。
わたしは転職組(35歳になるときに、10年勤めた前任校から現在の学校に転職したので、まるまる20年勤めて現在21年目に入った)なので、その時期は谷から山になると考えれば『二つ山形』になる。
あと6年くらいで、一応定年を迎えるので、徐々にエネルギーカーブは下がってきているものと思われる。
その意味では『三つ山形』くらいか・・・・。

「『坂の上の坂』を見据えて準備し、エネルギーを高め頑張っていこう」という趣旨は理解できるが、現実問題としてはどこかで下降線になることは否めないだろう。
私の世代は、親の世代をみる介護者としての立場になりつつある世代、もしくはなっている世代で、介護施設などにも何度も足を運んでいるものなのでとても納得はできそうにない。
ただ、満足した状態で死を迎え得られるように準備すべきだということには同意する。
しかしながら、これにもお金の問題がついてくるのだろうということわ考えてしまう。

−−−−

今の日本を少しでもよくする方策のひとつに『みんな一緒に上手く生きる』という考えをやめることが書かれている。

本文内の文章を引用してみると

みんな一緒に「上手く生きる」という高度経済成長期的なスタイルから、それぞれ一人一人が豊かさを楽しむスタイルへの移行です。

「みんな一緒」をやめてピークをずらせば、解消する問題(たとえばラッシュアワー:筆者が注として加筆)です。

会社員は時差出勤などが可能かもしれないが、学生や生徒の場合には出欠・遅刻の問題もあり、決められた時間割の中でその時間に行われる授業を受けたかということもあって時差通学というのは難しいだろう。
もっともe-Learningなどが普及して学校に通わず自宅にて授業を受けられるというようになってくれば可能性はぐっと上がってくるが、その実現に日本ではあと何年掛かるだろうか。

−−−−

『会社以外のコミュニティをつくる』、『パートナーと向き合う』などが書かれている。
わたしは現任校に勤め始めた頃から『合気道』を習っていて、今までの自分の人生からみると比較的異質なことをしている。
ここのところ、出席率が落ちていて、自信を持って『合気道をやっています』とはいえない感じだけれども、ほそぼそと頑張っているというところだろう。
このように会社以外のコミュニティに参加し、いろいろな職種の人と知り合えることは有意義なことだと思う。
しかし、体を動かすこと、そうでないことにかかわらず、これとても限界はどこかの時点でやってくる。
特に体を動かす系統の場合にはその年齢が早く訪れることだろう。

ここのところプログラミング言語からは遠ざかっているけれども、徐々にこちらへもシフトしていき、定年後は世の中に役立つ『アプリでも作っていけたらよいと思っている。

脈絡はないが、気になった点をいくつかピックアップして自分なりの考えなどを書いてみた。




#情報科教員MTの読書記録・・・2013-04-28から2013-04-30
                     3日で1回読み終えた。

 実投稿時間は2013-05-06 12:25ころである。


2013年04月27日

『不等辺三角形』を読了!!

内田康夫氏の『不等辺三角形』を読み終えた。

『不等辺三角形』 内田康夫・著 『不等辺三角形』 内田康夫・著

名古屋市の正岡家の旧豪邸・陽奇荘と仙台箪笥を巡るミステリー。
実在の施設をモデルにしているが、あくまでもフィクションであるという『不等辺三角形』。
巻末の参考文献によると、『陽奇荘』のモデルは『揚輝荘』とのことで、汪兆銘なども滞在したことがあるという家である。

陽奇荘は元々は正岡家の別荘であったが、その後本宅として長く使われた想像を絶するような豪邸である。
今は無人なっていて、かつての執事が時々保守管理をしている。

さて、その陽奇荘から仙台箪笥の匠である『井上孝夫』が修理を依頼されたところから事件へと繋がっていく。
中沢茂夫という男から「是非に」ということで頼まれたもので、奥松島の井上家から名古屋までの交通費や宿泊費を含めて構わないという。
孝夫一人では運べないので娘の『井上邦香(いのうえくにか)』と共に陽奇荘までその箪笥を受け取りに行く。
箪笥を運ぶ途中で、その箪笥に『幽霊箪笥』の噂があることを知る。

最初の事件の被害者は『中沢茂夫』で、実はこの名前は偽名で、本名は『柏倉哲(かしくら)』(名古屋市中川区山王の松重閘門にて発見される)。
正岡家の執事の仕事をしていた男であった。
容疑者として疑われる仙台箪笥の井上孝夫。

−−−−

兄・陽一郎の大学同期生でワンダーフォーゲル部の仲間であった『正岡佑直』から、浅見光彦に仕事の依頼が来る。

『柏倉の事件を穏便に解決して欲しい』というのが依頼内容だ。

食客のような形で、正岡家に入ることになる光彦。
最初にあったのは、正岡佑直の秘書の河村。
秘書というより、執事という言葉がぴったりの人で、その後の陽奇荘張り込みでも光彦を手伝う人だ。
正岡佑直の子は、美誉を筆頭に妹ふたり。
美誉の叔母である錦恵(きぬえ)、祖父の佑春、お手伝いの澄恵などが登場人物というところだ。

『謎の仙台箪笥』には『隠し棚』と呼ばれる仕組みがあって、外から見た限りはただの板のよう見えるが、そこが引き戸のようになっていて、物を隠せるようになっていたのだ。
そこにあった五言絶句。

冬 秋 夏 春
嶺 月 雲 水
秀 如 多 満
孤 陽 奇 四
岩 輝 峰 澤

正岡の依頼を請けて動く光彦に、井上からこの事実を知らされ、俄然興味がわいてくる。

徐々にわかってくるのだが、その隠し棚の戸板に『在不等辺三角形之重心』の一行が書いてあったことが知らされる。
この辺で、タイトルの意味が理解されることになる。

第2の事件が起こり、『岩澤良和(いわさわよしかず)』という男が被害者となる(松島・貞山堀付近)。
五言絶句にある『岩』と『澤』。
岩澤と正岡家の関係などが説明されていく。
そして、その他にも当然、登場する人物がいるのだが、徐々に真犯人が明らかになっていく。
なるほど、結末はこんな感じかと楽しい数日が終わった。



#情報科教員MTの読書記録・・・・2013-04-23から2013-04-27
                     5日で1回読み終えた。

実投稿時間は2013-05-06 18:06ころである。


2013年04月01日

EPSON EP-805Aを購入!!

EPSON EP-805Aを購入した。

EPSON EP-805A EPSON EP-805A

わたしのプリンター購入歴は、NEC PC-PR201、NEC PICTY180、そして、EPSON PM-950Cと続き、今回のEPSON EP-805Aで4台目。

PM-950CはWindows2000のドライバが入ったCD-ROMが残っているので2000年前後に購入したことになる。

2万円くらいで新しいプリンタにすることが可能なことは、ずいぶん前から知ってはいたが、PM-950Cはインクが染料系ということで数年で変色してしまうという不満はあるものの何分、このPM-950Cが全く故障なく動いているし、何となく使い続けていた。

それで、同時に使っていたスキャナーがEPSON GT-7300Uなのだが、数々のアップグレードインストールで現状Windows7にしてあるメインマシンでも問題なく動作していた。
しかし、ここのところで、このこのWindows7マシンが故障して、新たなHDDにクリーンインストールしなければならなくなり、すっきりさせたところ、EPSON GT-7300UはWindows7非対応ということで正常動作しなくなった。

必要なdllがひとつ無くなったようで「twainドライバを認識出きません」という感じのメッセージを表示するのだ。
不具合自体はこれだけのようなので、取りあえず『OK』ボタンを押せば、一応動作はしているのだが・・・。

ということで、このまま使っていてもよかったのだが、新しいものに変えることにした。
息子に「古いけれどプリンターとスキャナー要るかい」と質問したところ、「欲しい。安いの何か買おうかと思っていたんだ」という回答だったので、背中を押された感じがしてポチッとやってしまったわけである。

−−−

12年くらいか、それとも13年か、 PM-950C(+GT-7300U)というものから考えると、EP-805Aは製品がコンパクトであることの他にも、100baseTXの有線LANやwifi、スキャナー、そしてパソコンなしの利用(EP-805Aだけで写真印刷)など、技術の進歩には驚くべきものを感じた。

我が家の書斎も、少しすっきりしたのである。

4月1日だけれど、Googleのようにエイプリルフールではない。


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MT
杉並区にある文化女子大学附属杉並中学校・高等学校で情報科教員をしていた津久井 大(まさる)と申します。
2019年3月に定年後、1年間雇用延長で働き、2020年4月から完全にリタイアしました。

従って正確には『元・情報科教員MTのBlog』ということになりますが、タイトルはこのままにしてあります。

元々は理科教員で、暫く理科と情報科の兼任をしていましたが、教育制度に則った情報科ができた2003年に情報科のみを教えることになりました。
my_twitter
@mtsinfodl